某所理由について語っていたので、儂もここは一つ、クソ真面目に自分の考えを言いたくなったので言う(ぇ

その某所においては「ギターを弾き始めた理由」となっていたが、自分はギター弾きではない。世間じゃどう思われているかわからないが、仲間内では歌い手である。


というわけで、自分の場合は「歌い始めた理由」として論じ、そこから『理由』そのものを考察してみた。


昔話からはじめると、実は幼い頃、自分は歌うことがあまり好きではなかった。恥ずかしいというのがそのおもな理由だ。この時点では『歌わない』理由の方が圧倒的に強い………というか、『歌わない理由』しか無かった。
そして、紆余曲折を経て氷雨君と知り合い、それまでまったく興味が無かった音楽に目覚め始めた。
余談だが、その当時氷雨君と知り合う以前の儂の音楽無知振りは筆舌に絶するほどのもの。例を挙げるなら………音符が読めない、歌詞の意味が解らない等は序章に過ぎず、流行のヒットチャートも知らなければ浜崎あゆみ宇多田ヒカルを姉妹だと勘違いしたり、サザンオールスターズ米米Clubを間違えたりするほどであった。


閑話休題


歌を歌うようになった理由。


脚光を浴びたかったから?
―――ありえない。
好きな歌があったから?
――――歌うことが恥ずかしいというのにわざわざ人前で歌う必要は無いじゃないか。
歌いたかったから?
―――――そんなマンガみたいな運命じみたことなんて信じるような人柄じゃない。


考えてみれば実に幼稚で、実に不義で、実につまらないことだ。
一言で言えばソレは嫉妬心。
なぜ嫉妬心を抱いたか。なぜソレが歌いだす理由になったのか。それをここで語る必要は有るまい。
しかし、ここで注意してもらいたいのが、この『嫉妬心』と言う理由は、あくまでも理由を言えといわれた場合に無理やり引きずり出したものに他ならない。いわば後付、オマケである。


筆者が考えるに、理由とはすなわち、『きっかけ』であり『言い訳』であると思う。
上記において筆者は『嫉妬心』を理由としたが、それはきっかけであり言い訳である。
これは、時と場合によって変わると言わざるを得ないが、結論としてそう到った。


たとえば異性に思いの丈を打ち明けたとき、そう…愛の告白と言うやつをしたときを思い浮かべてもらいたい。
両想いなら何も無いが、片思いの相手に告白をしたとき「なぜ僕(私)が好きなの?」と理由を尋ねられる事もあるだろう。
そんなとき、「可愛いから」とか「優しいから」などと陳腐な煽て文句を並べても、意味はほとんど無いだろう。
そう、これは『言い訳』に他ならない。
稀に「好きだから」と、理由を感情で表現………いや、感情を理由に持ってくる人もいるかもしれない。
しかしコレでは、「なぜ好きなのか?」という問いに答えられていないと思うのである。しかしそれは感情は感情であって理由ではないからと思うからでしょう。


いろいろなモノが理由に化けることができる。そして、理由は他のものに化けることが出来る。
それが『理由』と言うものだと思う。


結局、筆者はコレ!という『理由』の正体がわからなかった。ソレは多分、理由と言うものがあってもなくても同じものだからだろう。
等式で表すなら『きっかけetc=理由=言い訳etc』と言ったところだろうか。しかし『きっかけ≠言い訳』であるとも思う。
そこにはニュアンスの違いのほか、決定的な違いがいくつもある。だが、『きっかけ=理由』も『言い訳=理由』も言える筈だ。


まだまだ推敲が足りない論理であり、駄文の域を脱しえぬものだが、これが『理由』に対する筆者の現在の考えである。


自分にとっての理由はこうだ!という考えをお持ちの方はぜひお聞かせ願いたい。
時々こうして頭を働かせて一つのことを集中して考えねば脳は腐るのみ………ッ!
でも疲れるし、なんだか無益に感じてきたのでこの辺でzzz