昨日、ビリヤードの試合をしてきました。


チーム戦の試合で、結果から言えばチームは勝ち、儂個人は僅差で負け。
この結果を得て、行きつけの玉屋さんの主人と話をしたのですが……


(長くなるのでここから先は自己責任で。)


どうやら儂は究極の甘ちゃん、強いて言うなら聖人君子級の坊やのようです。
某大佐殿に「坊やだからさ…」といわれても全然反論できません。
ええ全く。



結果から言ってしまえば、儂は勝利に対する「貪欲さ」が絶望的に欠けているようだ。



玉屋の主人から2つほど、こんな話を聞かせていただいた。
『あるプロ同士の対戦の話。ベテランプロと新人プロが対戦した折に、ベテランプロが組んだラックに新人プロがケチをつけた。
その場はそれで終わったが、次のゲーム。
ベテランプロがラックを組むと、わざわざきっちり並べたラックの先頭にある1番ボールを掴み、あろうことかそのまま大きく前のほうに、ソレこそ台のど真ん中に置いたという。そしてベテランプロは「どうしたんや○○(←新人プロの名前)、早くラックチェックせぇへんかい!」と言った。』


そしてもう一つ。
『またこれもプロ同士の話、さっきの話と同じように、一人がラックにケチをつけると、もう一人が、全ての的球を乗せたままのラックを、ラックごと放り投げた。
当然、的球は台上に置かれることも無く、ましてやラックとして機能するよう組まれるはずも無く、地面にバラバラに落ち、散らばった。周りにいた人みんなでボール拾いながらプロに謝ってた。』


この話を聞いて、儂は最初、全く理解できなかった。
その、ボールをわざと動かしたり放り投げたりしたプロの行動もであるが、謝る連中のことも理解できなかった。
確かに、ラックを組むことは重要な行為である。
きちんとくっつけて組まなければ、いかに強いブレイクショットでもきれいに割れるかどうかは運任せになる。だから当然、きちんと組まれていなければケチをつけることがある。
そこで、試合中、あと1ゲーム落とされたら負けるというピンチの状態などで、ラックを「かませる」ということをすることが多いそうだ。
簡単に言ってしまえば、細工をして(それこそ、並べる際にすこしボールの間に隙間を作ってやるだけで)、ブレイクショットでラックを割れにくくして、相手のチャンスを潰すのだ。ブレイクショットで一つも的球が落ちなければそれで、その人の番は終了である。


なるほど、相手のチャンスを潰すことで自分のチャンスを作るわけだ。コレには納得がいく。勝ちたいのであれば、できる限りのことをするべきである。
実際、昨日の試合での儂の敗因の一端に、この「かませる」という行為が可能性としてある。
儂自身、情けないことに気づかなかったのだが、どうやらかませられていたらしい。
しかし、そんな卑怯な真似をしてまで勝ちたいのか?





…と思ったら、ソレが「甘い」のだそうだ。
勝つ負けるで飯を食うプロの世界において、勝ち方に拘る奴ほど負けているのが事実らしい。
儂自身、勝率だのそんな数値は詳しく知らないが、玉屋の主人の話によると、「綺麗事並べる奴ほど弱い。勝っていない。」だそうだ。


ふむ、確かに「上手さ≠強さ」であり、「上手さ」と「強さ」は全く次元の違うものである。
いくら上手に玉を撞けようが弱い奴はいるし、下手クソでも頭を使って戦い抜く強さがあれば、格上に勝つことも可能だ。
勝ちたいならば「上手く」ではなく、「強く」ならなければならない。


では、「強さ」とはなんであろうか。
やはり「強さ」とは「勝利への貪欲さ」から生まれる副産物であると考える。
すると、「勝利」への意欲が「強さ」に繋がるわけであるから、何かしらの勝利を求める「理由」や「動機」というものが必要になる。その理由や動機が強く、また切実なものであるほど、意欲が強くなり、勝利への貪欲さが生まれ、強さへと繋がっていくと儂は考えた。
多くのプロの場合、「勝つこと=金を得ること=飯を食うこと=生きる事」と繋がると考えられないだろうか?
なるほど、この場合、物凄く切実である。
それこそ、なりふり構っていられるとは思えない。
負けることが死に直結するわけではないだろうが、それでも勝たなければいけない。負けてもいい、なんてことはありえない世界だ。
そう考えれば、前述した二人のプロの奇行にも納得がいく。
彼らは勝つためにラックを「かませた」。その勝利に対する「貪欲さ」を、対戦相手が「卑怯」と罵ったが故の行動であると理解できる。



少し話がそれたが、儂が負けた理由。
それは「勝利への貪欲さ」が絶望的に欠けていたからである。
儂自身、「勝つこと」について考えたことは今まで一度も無い。
確かに、「勝ちたい」とは思う。サークル内大会やハウストーナメントでいい賞品が出ているならなおさらだ。
しかし、そんな物欲ではお話にならないと言うのを思い知った。
儂にとって「勝つこと」は一体どんな意味を持つのだろう?
また、儂にとって「勝ち」とはどうこう事なのだろう?


そもそも、儂は「強く」なりたいのか、「上手く」なりたいのか。
どちらを目指しているのかわからない。考えたことも無かった。
プロを目指しているわけでもなし、でも負けるのは嫌だ。
勝ちたいと思うのは当然、でも自分にとって「勝利」とはどのような意味があるのかがわからない。


この問題については、これからも玉を撞く上で課題となっていくだろうし、今の儂ではまだ答えは出せそうにない。
当然、強いだけじゃなく上手くもなりたい。




もう少し、「勝利」の「価値」について考えを深めていく必要がありそうだ。
その「価値」次第で、儂は天使にも悪魔にも、聖人君子にも詐欺師にもなっていくようだ。